5月29日(日)
ワークショップ 元気のぼり
6月4日(土)
地元の子供たちによる田植え
6月11日(土)
オープニング・セレモニー 和太鼓コンサート
オープニング・トーク
田んぼからのメッセージ
中村 桂子(生命誌研究者)、若一 光司(作家)、
新宮 晋(アーティスト)
ワークショップ 風車を作ろう
6月19日(日)
ワークショップ 七夕飾りを作ろう
7月9日(土)
ワークショップ
田んぼの虫や生き物の観察 1
7月23日(土)
ワークショップ
田んぼの虫や生き物の観察 2
9月4日(日)
ワークショップ アートかかしを作ろう
ワークショップ
オリジナルの焼き物を作ろう
9月25日(日)
子供たちによる稲刈り
「かかし」と「焼き物」の発表
風の妖精たちのパレード
野外ジャズコンサート

スケジュール・内容は変更する場合があります。
オープニング・トーク 田んぼからのメッセージ
2011年6月11日
中村 桂子(生命誌研究者)、若一 光司(作家)、新宮 晋(アーティスト)
若一

今回、東日本の被災を通して、強く感じたことがあります。
たしかに今回の被災は、人間にとってはものすごく痛ましい不幸です。私は、北海道南西沖地震以降、主要な震災の被災地を全て歩いてきましたけれども、これほど痛ましい現場は、本当に初めて目にしました。凄まじい規模の崩壊ですからね。

ただ、少し視点を変え、人間の立場を離れてみると、こうした大地震のような自然現象というのは、地球の平衡ということで言えば、ごくごく当たり前のことでしょうね。地球が地球であり続ける中には、こういう出来事も当たり前のこととして含まれている。地球の長い歴史の中では、それ以上に大きな出来事も、いくつも発生しているわけですね。
たとえば、我々人間がいまここに存在できているのは、約6500万年前の白亜紀の終りに、おそらくこの地球に小惑星が衝突して、地球の環境が一変してしまった結果ですね。
この衝突によって環境が激変する中で、陸上の支配者だった恐竜や、海の中で繁栄を誇っていたアンモナイトなんかが、滅びてしまった。人間の祖先の哺乳動物というのは、恐竜の時代は小さなネズミのようなものに過ぎず、恐竜のえさになっていた。
だけど、小惑星の衝突によってその恐竜が絶滅してしまった結果、小ちゃくて環境適応が可能だったそのネズミのような哺乳類が生き延びて、多様に進化して、その結果の一部として、人間が生まれた。
もし地球が6500万年前に小惑星にぶつかっていなかったら、おそらく、人類は誕生しなかっただろうし、私たちもここにいないですね。

つまり、我々人間は、激烈なアクシデントの結果として、ここに存在しているわけです。非常にマクロな目で見たら、今回の地震によるアクシデントも、何か別のプラスの側面を持っている可能性も充分あるわけですね。自然というのは、そういうものなのだと。
その自然の変化や出来事に一喜一憂するのは、人間として仕方ないけど、自然そのものは、ある意味で常に淡々としているように思うんです。そうした自然と、どう接していくのかということですが、自然のその淡々とした常態のようなものを、新宮さんの作品からも感じるんですね。

新宮さんの作品の多くは風で動いてますけど、たとえ暴風雨になっても、あるいは台風が来ても、作品の動きはあまり変わらない。これは新宮さんが開発された特別のベアリングなんかによる、とても高度な仕組みです。普通の風車だったら、巨大な台風なんかが来たら潰れてしまいますよね。ですが新宮さんの作品は、そうした環境変化を不思議に制御して、破たんしたり壊れたりすることなく、常に淡々と動いている。
新宮さんの作品の、その淡々とした動きが、私は大好きでしてね。そこに、言葉にしがたいほどの、尽きない妙味を感じるんですけれども。

新宮

もう机の下に隠れたいなと思いましたが、隠れる場所もないし(笑い)。

今日は僕ちょっと頼み過ぎまして、太陽まで出て来たので、皆さん暑くて今度は困っておられるかもしれません。初めから、屋外でイベントをすることには、自然のあらゆる可能性がありました。
特にこの季節、昨日の大雨が降り続いていても不思議じゃないのに、皆さんの日頃の心がけのお陰で天候に恵まれて、本当に幸せだと思います。

最後にですね、今度の震災を通して、我々は何を学ばなければならないか、そして明日生きていくには、どういう形、或はどういうのが理想なのでしょうか。僕の大課題でもあるんですけれども、ひと言で言って頂けませんか。

若一

私自身の個人的実感で言えば、ともかく人の世話にならなくても、自己完結的に生きられる部分を出来るだけ増やしたいなあと。増やすべきだろうと。
まぁ電気はもちろんのこと、私たちの暮らしを支えるライフライン全体が、巨大なシステムで稼動していますが、そのシステムの根本がいかれたら、全体が影響を受けざるをえないわけです。「自給自足」という言葉は、ちょっと農業的なイメージに偏っていると思うんですが、私の場合、いろんな最先端テクノロジーなんかも大いに活用しながら、全体システムの左右されることの少ない、出来るだけ固体完結度の高い生活を目指すべきではないかと思います。

それから、社会的な価値観の面でいえば、人間の社会においてはやっぱり、多様性の尊重ということがより大切だと思います。これは、思想や価値観や宗教などの多様性もありますし、それぞれ個人の資質や生理の多様性も含めてのことです。
そういう幅広い多様性を尊重し合いながら、共生してゆく。そのためにも、やっぱり自己完結度の高い生活を、全体に支配されないミニマルな生活を目指すべきではないかと、私はいまそう思っております。

中村

ここ数十年の日本の社会は、あまりにも人間が自然と離れすぎました。
先ほども申しましたように、38億年前からいろいろな生き物が生まれてきて、最後に人間が登場するのですが、人間の身体を調べると、バクテリアと同じところもあれば、アリと同じところもあれば、植物と同じところもある訳で、生き物の仲間です。人間は生き物の中にいるのですから、生き物として生きるのが基本の筈なのに、文明社会の人間は、自分は自然の外にいて、自然をコントロールしたり、可愛がったり、利用したりしている気分になっていると思います。
実は、当たり前のことなのですが、私たちは生き物だということを、もう一回実感したいと思いますね。

今関西と東京では実感がちょっと違っていて、東京の方が厳しいんですね。実際電気が来なかったりする。そこで節電するのですが、皆これを我慢と考えています。ところが節電をし始めたために、何が具体的に起こっているかというと、例えば電車の窓が開き始めました。
この国の30何度というような真夏に空調がなかったら困ると思うのですが、4月5月だったら窓を開けた方がいい風が入って来るんです。私は窓の閉まっている電車が嫌いで、窓を開けて欲しいなあと思いながら、でもそれはなかったのです。
ところが今年は空調が出来ないので窓を開けたんです。私にとっては気持いいことなんです。

一般論としては、節電は我慢となります。そうではなく、自分が生き物だという気持にさえなれば、楽しめるんです。だから、新しい生き方を楽しもう、生き物としての生き方を楽しもうという風になるといいなあと思っています。

新宮

それは、昔の方が良かったなという話のような気もします。
昔ルネ・クレールの映画で「夜ごとの美女」というのがあって、画面の中で「昔が良かったなー」と言うと、本当に昔へ行っちゃうんですね。どんどん行っちゃうと、石器時代とかになって、それでもまだ昔の方が良かったなという話でした。

この現代の生活の中で、昔が良かったなと感じられる人はまだ救いがある。でも、この生活が当たり前だと思っている人にとっては、全てが我慢の種になる。これが問題じゃないかと思うんです。
我慢じゃなくて、すごく楽しいというユートピアを、やっぱり実現させないと。あそこに居る人たちみんな幸せそう、ということを実証しないと、分かってもらえないのかなあと思います。

でもアーティストというのは、まあおっちょこちょいなんですね。賢い人なら、口にはするけれども実現させようなんて馬鹿なことは考えないのを、やってしまうのがアーティスト。
ビジネスマンとか、政治家とかだったらやらないことを、やってしまう。よく言われる例えに、アーティストは炭坑の中のカナリアでなければいけない、空気が少し悪くなったら、普通の人間より先にまず気絶してみせなければいけないというのがあります。
でも時代の危惧というか、空気を読むのに敏感なアーティストが、非常に少なくなっているような気がします。やっぱりアーティストというのは、いつもお金がない。お金がなくて、やりたいことはやりたい。私は、そういう矛盾を抱えながらずっとやってきました。

アーティストっていうのは、変わったものを作る商売人じゃないんです。精神的にアーティストなんです。それはだから、職業的にアーティストでない人にもアーティストの部分があるというのは、そういうことなんです。

中村

そういう意味で、ブリージング・アースはすごいですよね。
お考えになってらっしゃること。今のまさにやってしまうの例です。えーこんなことやってしまうのみたいなことを、なさっている。しかもそれが美しくて、心に訴えるのです。そういうチャレンジであるブリージング・アースはすごいと思うのです。

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