2011年6月11日 | |
中村 桂子(生命誌研究者)、若一 光司(作家)、新宮 晋(アーティスト) | |
今原発がすごい問題になっていますよね。先ほどもちょっと触れたことですが、日本人の自然観と、西洋的な自然観の違いということもあるのに、日本人が、まるで西洋人みたいな感覚に急になったというのが、問題の根本にあるのではないかと思います。 |
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農業とか農耕とかは、有機的な連鎖の中で成り立っているものですよね。それを機械的なメカニズムで考える発想というのは、やっぱりヨーロッパの中心発想としてあると思います。 日本の農耕文化の特質を規定しているのは、やっぱり稲作だと思うんです。その稲の生育の循環を、生き物ならではの有機的な見方でとらえつづけてきた結果、日本人の死生観が、稲とオーバーラップしている。 |
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今おっしゃったことを身近な日常的なことで言うと、機械を使った社会で大事にしている価値が、とにかく効率的に早く出来ること、便利になることです。それを、日常の言葉にすると、まず早く出来ること、それから手抜きが出来ること、思い通りに出来ることです。 そこに赤ちゃんがいらっしゃるけれど、1才2才3才と時間がかかる。うちの子だけすぐ5才になれと考えてもこれは無理ですね。しかも、2才は2才、3才は3才それぞれの時期が大事です。機械は時間を切っていい訳ですね。 ですから、早く出来て、手抜きが出来て、思い通りに出来るのがいいと決めたら、生き物は駄目ということになってしまいます。そこで、機械による産業より農業の方が駄目とされました。子供も早く出来ない子は駄目。何か生き物っぽさを全部バツにしてきちゃった。これをもう一回生き物に戻す。 |
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それに関してね、いつも思うんですけど、その効率論でいけば、子供でも、物事を早く理解出来る子供の方を、我々つい評価しがちですよね。 |
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ちゃんと見てないんですよ。こっちが思った通りの答え出す子だけで、別の、答えっていっぱいあるんですよ。別の事考えてる、もっといい事考えてる子がいるかもしれない。でもその子バツなんです。 |
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ひと昔前だったら、冬になれば日本の家庭には必ず火の元がありましたよね。例えば火鉢があったり、石油ストーブがあったり。それに触れたりして、子供は必ず1回はやけどしましたよね。 一方で、3回も4回もやけどしても、また5回目のやけどをするような子供もいる。すると大人は、何回もやけどする子に対して、「お前はアホか。あそこの子は1回やけどしただけで済んでるやないか」と、ついそういう言い方をしてしまうんだけれども、1回のやけどで火の怖さを分かる子もいれば、5回やけどすることで理解する子もいる。 個々の持ち味というか、人間の多様性を尊重するというのは、逆に言えばそういうことも含めての尊重じゃなければと思いますね。 |
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まず失敗の素晴らしさね、それがなければやっぱり。人間って、失敗もなく人生過ごしてごらんなさい、こんなつまらないことはないと思います。出来たら、恋愛しても、失恋もちゃんとしなきゃいけないと思うんですね。 これはガンジーが言った言葉ですが、人間が発明したものの中で、いい発明だと思うのは自転車とミシンだと。それ以上複雑なものは、本当は、悪魔から提供されたようなものだと。 人間の能力がどんどん低下するっていうことを僕が感じたのは、ウインドキャラバンという、先住民といわれる人たちが住んでいるところをずっと巡る、展覧会というか、一種の文化探訪みたいなのをやった時に、彼らが電気も無くて水もない所で暮らしておられるのを見ながら、我々だったら3日ともたないなあと思った時です。 |
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文明社会じゃないところは、いかにも単純な生活をしているように見えますよね。でも私に言わせれば、人間が考えた最高の機械より、アリ一匹の方がよっぽど複雑なんですよ。だから自然と接している人の方が、頭をたくさん使っていると思うんです。 電気がない、水道がないところで暮らしている人は、原始的で我々より劣っていると思いがちですが、とても複雑なものを理解してそれを使いこなさないと暮らせない訳ですから。すごい能力を使って生きている人なんだと思います。 |